『火の鳥』(手塚治虫著/角川書店版)|第3回 千澤のり子エッセイ


 中学生の頃、友達同士で「怖いもの」が流行りました。
コックリさんみたいなオカルト体験を求めるのではありません。
気持ち悪い絵の漫画を回し読みしたり、集まって猟奇殺人の映画やビデオを観たりして、物語の怖さを楽しんでいました。 
 そんなある日、浦ちゃんというあだ名の友達が「すごく怖いの」と、シリーズものの漫画を貸してくれました。御茶漬海苔でも楳図かずおでも松本洋子でもありません。それは、手塚治虫『火の鳥』でした。
 映画『鳳凰編』は観ていたのですが、ほかにもエピソードがあったことを、当時の私は知りませんでした。怖いというより虚しさを覚えた作品です。あの人物は、その後どうやって生きたのだろうかという恐怖は、確かにありました。
 版は、『漫画少年 別冊』です。
順番どおりに『黎明編』から入り、「この世にこんなに面白い漫画が合ったなんて!」と、浦ちゃんの家にあった作品は全巻借りて、一気に読みました。
 浦ちゃんが特に怖がっていたのは、『未来編』です。
想像もつかない時を、たった独りで生きなければいけない。
死ぬこともできないことに、彼女は恐怖を感じていました。
私はそれよりも何よりも、『望郷編』がとてつもなく怖くて、いまだにトラウマになっています。
火の鳥 手塚治 望郷編
『望郷編』は、ある無人星に移り住んだカップルの女性が主人公の作品です。男性は死亡し、女性は自分の子供と子供を作り、男性の種族を残そうとします。ですが、生まれた子供は男の子ばかり。これでは近いうちに崩壊します。その状況を助けたのが、火の鳥です。宇宙人の雌をその星に送り込み、子供を作らせます。やがて、女性はその星の女王になりますが、故郷の地球に帰りたくなり、お供を連れて、宇宙船に乗り込みます。
 同じく浦ちゃんから貸してもらって読んでいた、だーちゃんという友達も、『望郷編』をものすごく怖がっていました。だーちゃんは、宇宙船に同乗する雌雄合体生物に怯えていました。確かに、その生物も私のトラウマになっています。
 ですが、もっと怖かったのは、地球に向かう際に着陸した星です。
例えば、クレーターのような大きな穴がたくさんある星では、その穴から大きなヘビが出てきて……出てきて……怖くてこれ以上は書けません。ほかの星でも、植物が……もうこれ以上は無理です。ごめんなさい。
 星は遠くから見るだけで充分です。想像の範疇を超える生き物がいるとは、あまり考えたくありません。 
 怖いものを面白がっていた私は、宇宙が怖いということを知りました。
それからあまり時を置かずに、私の家にも『火の鳥』全巻がやってきました。
きっかけは、なんと1989年の消費税導入です。
 母が、「消費税が始まる前に、高いものを買っておかないと!」と、角川書店版『火の鳥』の、当時刊行されていたものを全て買ってきたのです。確かに、ハードカバーの漫画は結構な値段がしました(もっとほかに買うべきものがあったのではと思いますが、こういう大人は好きです。親だとちょっと困ります)。
 漫画少年と比べると、多少の変更がありました。『望郷編』はかなり異なります。別々の高校に行っただーちゃんから「豪華な本は大丈夫だから読んでみたら」と連絡をもらっていたので、読んでみました。
 だーちゃんのトラウマ場面はなくなっていました。
でも、星は変わっていませんでした。
 あれから30年近く経っても、ページをめくれません。なのに、あのヘビの表情は、はっきりと覚えています。できるなら、記憶から消し去りたいです。


 角川書店版の『火の鳥』は、私が譲り受けました。2冊なくなってしまいましたが、残りは我が家のお大事本専用棚に入っています。画像の『ギリシャ・ローマ編』は、母が購入していなかったので、後から私が買い足しました。版違いでも、少しずつ集めています。
 浦ちゃんもだーちゃんも母も、おそらく覚えていないエピソードです。
人はそれぞれ、怖がるポイントが異なることを知りました。

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