第8回に登場した親友・Sも、第9回で触れた我孫子武丸さんの大ファンでした。
よく我孫子作品について語り合ったのに、なぜかSは『殺戮にいたる病』を読んでいませんでした。「そんなに面白い作品なら、読みたい本がなくなったら読むさ」と言い、「早く読みなよ」と急かしても、答はいつも「死ぬ前にはね」と返ってきました。
記事を書いてから、彼はあの本を読んだのだろうか、きっと読んでいない、こんなに早く逝くなんて本人も思っていなかったはずと、こんなことを考えました。
私も、死ぬ前には読みたい本はあります。結構たくさんあります。
その中の1冊が、鮎川哲也『白の恐怖』(桃源社)です。
鮎川作品は、主に角川文庫で読んでいました。写真は大人になってから買い直したもので、所有本の全部ではありません。版違いでもないのに複数持っている作品もあります。
『白の恐怖』は、かなり前から入手困難になっていて、すごく欲しかった本でした。
初めて見つけたのは、2001年。インターネットをしているミステリ好きの人なら誰でも参加できる宿泊イベント「MYSCON2」の古本オークションに出ていたのです(現在、このイベントは終了しています)。
欲しい。どうしても欲しい。
けれど、所持金はほとんどありません。もともと自分の自由になるお金なんてなかった頃です。イベントに参加できたのも、赤子だった息子を実家に連れて行くとお小遣いをもらえたからでした。
休憩時間に、あまりにも本をじっと見つめていたせいか、ミステリ系の個人テキストサイトを運営していたネット仲間に声をかけられました。掲示板や集団チャットで文字だけの会話をしていて、オフ会でも数回会ったことのある方です。
事情を説明したら、その人は突然、私の膝の上に財布を落として言いました。
「好きなだけ使っていいですよ」
確かに私は律儀な性格ですが、本名などの個人情報をまったく知らない方にそこまでお世話になることはできません。リアルでよく知っている仲の人でも同じです。
当然、断りました。
「だって、ずっと探していたんでしょう」
でも、その人は有無を言わさず、どこかに立ち去ってしまいました。相手は男性なので、客室に行かれたら追いかけようもありません。私はありがたくお借りすることにしました。
オークションは旅館の大広間で真夜中に始まりました。広い場所の隅っこで行われたので、周囲はすでに宴会も始まっています。
『白の恐怖』の順番は、かなり後でした。待っている間、誰かに勧められるままに、強いお酒を水のように飲んでいました。
実はそれから、ほとんど記憶がありません。たぶん、入札後、すぐに気持ちが悪くなって、別のネット仲間に続きを託してトイレに行き、まだ気持ちが悪いので近くの語り部屋でちょっと休憩し、再びトイレに行き……としていたのでしょう。その間に、ネット仲間の方が競り落としてくださったのでした。
人様にお金を借り、人様に落札してもらうなんて、一生の不覚です。後にも先にも、こんな無礼なことはしていないはずです。本当に恥ずかしいです。
落札価格は8,900円。
決して安くはないけれど、でも、高くもありません。この値段では手に入らないでしょう。抱きかかえたまま語り部屋で寝落ちしていて、気がついたら朝になっていました。
もちろん、財布は当日に、お金は後日、人生の転機用の貯金を崩して、直接お返ししました。おふた方には何度もお礼を言いましたが、改めてお世話になりました。ありがとうございました。
一生大事にしようと誓ったのに、もったいなくて、未だに作品は読んでいません。数年前に『鮎川哲也探偵小説選』(論創社)に収録され、つい先日光文社文庫で復刊し、誰もがすぐに読める状況になったけれど、私が読むのはまだまだ先になりそうです(論創社版は探偵小説研究会編『2018本格ミステリ・ベスト10』(原書房)の復刊コーナー<注1>と装幀座談会<注2>で取り上げられています)。
人生の最期に読む本を決めるとしたら。
それが、私にとっては『白の恐怖』であります。
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(編集者:注)
<注1>最後の写真(『2018本格ミステリ・ベスト10』「復刊ミステリ2017」の頁より。)
<注2>同著「装幀大賞選考座談会」の頁にて。千澤のり子先生は評論家「羽住典子」先生名義で誌面の他の頁にもご登場致します。
1973年生まれ
作家。近刊は『暗黒10カラット-十歳たちの不連続短編集-』(行舟文化/2022年)。
ボードゲーム好きで『人狼作家』の編集も手がけ、羽住典子名義でミステリ評論活動も行っている。
X:https://x.com/noriko_c
-古書店三月兎之杜からの詳しいご紹介-
・日本推理作家協会会員、本格ミステリ作家クラブ会員。
・2007年に二階堂黎人氏との合作『ルームシェア 私立探偵・桐山真紀子』にてデビュー(当時は宗形キメラ名義)。その後は単独名義にて『マーダーゲーム』『シンフォニック・ロスト』(以上講談社)を発表。なお講談社ノベルスの公式WEBサイト「あとがきのあとがき」では、『シンフォニック・ロスト』執筆時のご苦労話が読めます。
・2017年に単著三作目『鵬藤高校天文部 君が見つけた星座』(原書房)を上梓。ほかに共著として『人狼作家』(原書房)、『サイバーミステリ宣言!』(角川書店)、『平成ストライク』(角川文庫)など。
・ミステリ作家としてご活躍の一方、羽住典子名義で評論家としても精力的に活動中。所属する「探偵小説研究会」では『本格ミステリ・ディケイド300』、『本格ミステリ・ベスト10』(共に原書房)の編纂にも携わられております。
・2023年10月より、秋葉原ジャンク通りの<和牛カレーが堪能できるカレー専門店>「レボリューション×エボリューション(レボエボ)」のオーナー。
<店舗情報>
Website:https://akiba-curry.com/
X:https://x.com/RevoEvoCurry