記憶の中の作家・中町信|第8回 千澤のり子 エッセイ

 

自宅のリビングのテレビボードには、「絶対保管」と決めている本や資料が収納してあります。主に、無記名で文章を書いた冊子やインタビュー稿、記名の短い文章、小説が掲載された雑誌、解説を書いた本、仲のいい人が携わった本などが入っています。
 その中には、友達Sの遺した本も混ざっています。出版系の人ではありません。ミステリが好きで、どんでん返しと暗号が大好きだった一読者が所有していた本です。
 今から十八年ほど前、Sとはインターネットを通じて知り合いました。最初はハンドルネームしか分からず、文字だけのやり取り。それが、オフ会で対面し、ネット以外の連絡先の交換もして、気がつけばいつも一緒にいる仲になっていました。
 当時、私もSもミステリ系の個人ウェブサイトを運営していて、「互いの友達を紹介すれば、もっと大きな仲間になれるかもしれない」と、共用のチャットルームを管理していました。テレホーダイというシステムを利用し、二十三時になったら来訪者を待って常駐していましたが、二人で話している時間が長く、あとは共通の友達数人が顔を出すくらいの入室状況でした。
 話題の大半がミステリに関する話だったことを覚えています。一斉に同じ本を読むことはごくまれで、どちらもまだ読んでいない本を探し、その中から気になった作品を試しに読んでみるといったことをしていました。
 Sは学生、私は専業主婦からシングルマザーという経緯により、自由になるお金をそんなに持っていませんでした。なので、ハードカバーの新刊はたくさん買えないため、どうしても目は古本に向いていきます。
 なかでも、気になっていたのは、中町信氏です。プロローグの人物が最後まで読むと別の人物だと分かるという作品をはじめ、文章で直接読者を騙しにかかる叙述トリックを多用している作家です。
 私は中学時代に徳間文庫版の『新人文学賞殺人事件』を読んでいましたが、ストーリーも、どういう種類の叙述トリックを使っていたのかも、忘れていました。Sと共通のネット友達から勧められたのがきっかけで再読したら、「こんなに面白い作品だったっけ」とすっかりはまってしまいました。
 デビューは一九七三年。著作はたくさんあるのに品切ればかり。今のようにウェブ古書店が発展していません。古本に詳しい大先輩たちからいただいた作品もありましたが、全作入手するのはほぼ不可能だろうと思っていました。
 Sとは手分けして、それぞれの地域にある古本屋さんを定期的にまわり、未入手作品を見つけたら買っていくようになりました。私が見つけるのは文庫本がメイン。しかも、すでに所有している作品ばかりです。希少なノベルス本の遭遇率はSのほうが高かったのですが、立替金は受け取らず、お礼はご飯を作ってほしいとのこと。何でも喜んで食べてくれたので、作りがいもありました。
 友達の輪も徐々に広がり、我が家にご飯を食べにくる人も増えていった夏の終わり。Sから電話がかかってきました。
「うちの近所で残り数冊が売ってるよ」
 ついに、中町作品をコンプリートできたのです。
「読んでから渡す」と言われたので、「いつでも会えるから急がなくていいよ」と返事をしました。
 だけど、秋のはじめのある日、Sは突然逝ってしまいました。身体があまり丈夫でなかったし、不規則すぎる生活をしていたからではないかと解釈するしかありませんでした。
しばらくして、買っておいてくれた中町作品とネット越しに話したミステリ作品を、ご遺族からいただきました。Sは本に関する記録をつけていたそうです。「東京の姉」と呼んでいたとも聞きました。
 一緒に過ごした日々は、二年と少し。それから何倍もの時間が流れて、あの頃の私には想像もつかない毎日を過ごすようになりました。
身体がバラバラになりそうだった苦しみは、数年でなくなりました。
 でも、今もときどき、よく晴れた日の昼下がりには、「古本屋行くけど、何か欲しい本ある?」という声を思い出します。

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