「ミステリ作家 千澤のり子」|第1回 千澤のり子エッセイ

マーダーゲーム シンフォニック・ロスト 千澤のり子著
初めまして。千澤のり子と申します。
この人はいったい誰なんだろう? と思われるかもしれません。いえ、そういう方がほとんどでしょう。 
私は、ミステリの本格ミステリと呼ばれるジャンルで小説を書いています。それとは別に、羽住典子という名前でミステリの評論活動も行っています。 
 テレビドラマに出てくる作家や評論家は、とてもキラキラしていて、優雅な暮らしをしているように見えますが、私はいたって普通の毎日を過ごしています。家事をして、仕事をして、本を読んで、テレビを観て、また仕事をしてと、生活は、かなり地味です。たまの休みの日は、友達とカラオケに行ったり、謎解きゲームに出向いたり、ボードゲームをしたり、喫茶店やファミレスでだべったり、学生の頃と同じような過ごし方をしています。性格は社交的ではありますが、積極的なほうではなく「誰と組み合わせても攻めになった姿が想像できない総受けタイプ」と、あるBL作家さんに太鼓判を押されていました。もしくは「ゆるふわキャラ」とも言われがちです。
 普通の人とちょっと違うのは、極度のミステリ好きというところかもしれません。ミステリの小説はもちろん、ドラマ、アニメ、漫画、映画、ゲーム、あちこちに手を広げて楽しんでいます。 
 私がミステリを楽しむときは、2パターンに分かれます。
 1つは、犯人当てのような「クイズ」として楽しむ。本格ミステリという分野は、謎解き要素で成り立つ作品と捉えています。謎があり、解く過程があり、真相が分かる(提示されなくても可)、謎を解くのは登場人物ですが、一緒に解こうという気持ちが強いです。 
 もう1つは、真相が分かったあとに浮かび上がる光景を楽しむ。主に、犯人に着目します。トリック成立の裏にある涙ぐましい努力、笑ってしまうような行動、隠された心情など、真相によって描かれなかった1シーンを知ることが、ミステリの面白さではないかと思っています。 
 特に、「叙述トリック」という、読者の思い込みを利用したトリックが好きです。夏の出来事だと思っていたら実は真冬だった、5人の物語だと思っていたら実は1人芝居だったなど、Aだと思っていたことが実はBだったという話に惹かれます。いきなり真相が提示されるのではなく、物語の過程で受け手も気付ける作品が、なお良し。そして、思い込みを誘うことに意味のある作品を高く評価しています。 
 自分の作品に置き換えるとどうでしょうか。
今、入手できる『君が見つけた星座』(原書房)は、ピュアすぎるほどの青春ミステリです。連作短編形式で、天文にまつわる事件の中で、主人公が少しずつ変わっていくという内容です。事件がなければ知ることができなかった、周囲の人々の思いやりとか温かさとかが、私は気に入っています。
 さて、当記事の主旨に移ります。 
画像にある『マーダーゲーム』や『シンフォニック・ロスト』は、もう新刊では入手不可能になっています。ですが、ミステリ小説の歴史の中で、いっときでも、この本があったというのは事実です。 
 今は見えなくなっているけれど、記事の中では蘇らせたい。
たとえ、読むことができなくても、こんな作品があったということを世に送りたい。こうした思いを持って、入手困難本を紹介しながら、本にまつわるエピソードを書いていけたらいいなあと思います。よく、友人から「本を読んでも中身はすぐに忘れちゃう」という話を聞きます。記憶の容量には限りがありますので、それは仕方のないことです。でも、本そのものとの思い出は、案外心に残っていて、ふとしたときに思い出す瞬間があるのではないでしょうか。それが、「本は心の財産である」という証ではないかと思います。

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