毎日、寒い。
札幌はここ2週間ほど、連日、最高気温が零下。ときにマイナス10度~15度ほどまで下がる。これは例年でも、寒い方。「さむいさむい」といっても、だいたいマイナス5~10度ほどなのだ。1月中旬以降、連日の冷凍庫生活である。
「そんなこといっても、北海道のひとって室内暖房をめちゃくちゃ高めに設定するそうじゃん。真冬にアイス食べたり冷たいビール飲んだりするんでしょ。知ってるもん」
そういうひとがいることは否定しない。灯油、ガス、電気といった暖房に関連するエネルギー料金が高騰している昨今でも、長く暗い冬を楽しむため、道民は部屋の中を「常夏の楽園」にしてしまうのだ。一歩外に踏み出せば、寒風が地吹雪を巻き上げ、視界が白濁するホワイトアウトを札幌市内でも体験できる。山岳遭難ならぬ「市街地遭難」「住宅街遭難」の危機や恐怖を実感可能だ。行方不明の住民が、春になって溶けた雪山――道路わきの除雪堆積(たいせき)や屋根の下の落雪堆積――から発見されることがある。「死」と隣り合わせで暮らしている。ゆえに市民は「外」に身体をさらす時間をできるだけ少なくする。なるべく快適に。なるべく過ごしやすく。
代表的なのは、地下街の移動だ。
フロアには雪が積もっていない。寒風にさらされることもない。吹雪きまくる地上の駅前通り(メインストリート)を海外観光客が「きゃあきゃあ」歓声をあげながら、はしゃぎ歩く。一方、地元市民は地下街通路を暗鬱(あんうつ)な表情で、もくもくと移動する。このコントラスト。「お客様」は3日~1週間程度で帰ってしまうのだろう。しかし、地元市民はこれを5か月(11月~3月)耐え忍ぶ。自然と、不機嫌な仏頂面になっていくのである。「わたしたちは雪が大好きです❤」などという海外観光客には、「お土産にどうでしょう。10トンくらい。ただでお持ち帰りいただけます」と応じたい。
飲食店やアパレルのテナントが入っている商業ビルでは、室内設定温度が高めだ。そのため、地元市民は基本的に薄着。たしかに分厚いダウンコートを着て、「外」の極寒に備えてはいる。しかし、その一着を脱ぐと、シャツ1枚である。かんたんに着脱できる分厚い防寒着を一着。それが、札幌の「冬の街歩き」の基本なのだ。あたたかすぎる室内温度、寒すぎる室外温度に適応するためである。
さて、「さむいさむい」といっておいてなんなのだが、室内温度を「常夏の楽園」に、わたし個人はしていない。わたしはストーブを使わない人間なのだ(!)。もう6~7年、ストーブなしで冬を過ごしている。
ひとり暮らしが長い。それで、あるとき、ふいに気がついたのである。「ひとりしかいないのだから、部屋をあたためる必要はないではないか! 自分ひとりだけがあたたかければいいのだ」
こうして「脱ストーブ・入ユタンポ」生活がはじまった。そう。湯たんぽ様をお迎えしたのである!
部屋にいるときは、ほとんど湯たんぽをかかえて暮らしている。ほかほかの湯たんぽをお腹にのせ、厚手の毛布をかぶせ、紅茶を飲みながら読書するのだ。フード付きトレーナーを着て、頭からフードをかぶる。咽喉の保湿のため、のど飴をなめる。室内でも布マスクをする。これで問題なく、ひと冬をこせるのである。
そうやって暮らしはじめ、いろいろと発見があった。まず、メリット。
1 便通がよい。
尾籠(びろう)な話で恐縮だが、運動不足のせいか、冬は便秘になりがちだ。40歳代から、わたしも便秘に悩まされ、ひどいときは2週間も苦しんだことがある。そのときは、最終手段、……クスリ(便秘薬)に手を出した。
20歳代は、まったく問題なく、食べたらそのあと自然にスルスルと……。30歳代は、ヨーグルトを発見した。それまで食べる習慣がなかったのだが、「腸内環境を整えるのは大切なのだな」と実感した。ヨーグルトさまさま時代である。そして、40歳代。そのヨーグルトさまの神通力が効かなくなったのだ。野菜、果物、こんにゃくゼリー……いろいろ試したがまったくダメ。たぶん、今までの人生でいちばんふとっていたのが、40歳代である。便秘のせいか、胴回りがふくらんだ。
そして、50歳代は湯たんぽ様だ。これが絶大の効果を発揮した。お腹をあたためることが、これほど大切だったとは! 湯たんぽ様、万歳!(あ。野菜、果物、ヨーグルトは今も食べています)
2 皮膚がかゆくない。
冬は乾燥するせいか、皮膚がかさつく。そして、がまんできない「かゆみ」に襲われるのである。ストーブを使うと、室内がさらに乾燥するのだろう。気が狂うような「かゆみ」に苦しんだ。
ところが、ストーブ暖房をやめると、この「かゆみ」がかなり抑制されるのだ。まったく消えるわけではない。しかし、場所はおもに靴下がしめつける足首のみ。かつては背中や肩、おしりまで「かゆみ」があった。今は限定的である。
足首の「かゆみ」は皮膚が炎症を起こしているようで、冷凍庫のコーヒー缶を当てている。局部を冷やすと、「かゆみ」がおさまるのだ。爪でかきむしると炎症が悪化するだけ。ますます「かゆみ」が増す。冷えたミックスベジタブルや冷凍食品のチャーハンなどをあてがい、冷却している。
3 灯油代がかからない。
化石燃料を節約できるので、環境にもやさしい。湯たんぽ様の湯をあたためるため、ガス代はかかるが、灯油代にくらべると微々たるもの。いちいち水道水から熱を加え、あたためるのでなく、使い回している。いま、湯たんぽ様のなかに入っている湯は、もともと10月に入れた水道水だ。なかみがぬるくなったら、そのぬるま湯を薬缶に入れ、あたため直しているのである。飲料に使うわけではない。「熱」だけ、いただければよいのだ。湯たんぽ様は環境にも家計にもやさしい。
デメリットは次の通り。
1 あたたかい料理があっという間にさめる。
汁物などは問題ないが、あたたかい料理は食べているうちに、どんどんつめたくなる。最後の方は冷蔵庫から出したばかりのようだ。しかたがないので、もういちどあたため直すことがある。最初からつめたい料理にしたらどうかなあ。冷やし中華とか……(きっと、やりません)。
2 ヒートアタック。
気温の低い風呂場で衣服を脱ぐと、体温が急激に低下する。心臓は体温調整のため、高速で全身の血流をうながす。そのため、いっきに高血圧になる。その後、あたたかいシャワーを浴びたり、あつい湯船につかったりする。今度は、心臓がペースダウンを図る。急に低血圧になる。この血圧の乱高下のせいで、心臓発作が起こるという。
対策としては、事前に風呂場を温めておくことらしい。
カセットボンベストーブがあるので、風呂場をそれであたためることができそうだ。
わたしは、血管をなるべくきれいにし、ふだんから心臓の負担を低めにしようとしている。夏場に豊平川河川敷をサイクリングし、身体を動かすのは、そのためでもある。手帳を見てみると、昨年の7月は20回(!)、サイクリングしている。冬も身体を動かしたい。市内で「歩くスキー」ができるので、検討中である(一昨年、やったら楽しかった。今年も行けるか検討している)。あ。「山スキー」はリフト反対派なので、基本的にやりません。リフトなしで「山スキー」をやるひとは尊敬します。「ヘリスキー」は論外。
3 来客を呼べない。
そもそも誰もやって来ないので、まったく問題ない。
以上、デメリットよりメリットが圧倒的に上回っている。湯たんぽ大明神、万歳!
もっとも、既往症、持病があるひと、体質が虚弱なひとには「湯たんぽ生活」をすすめない。この文章は誰かにライフスタイルを推奨するものではないのだ。わたしに効果があっても、ほかのひとは違うかもしれない。あくまで個人的体験である。
ちなみに夏もクーラー、扇風機を使っていない(1997年以降)。グレタ・トゥーンベリちゃんに何をいわれようと平気だ。その話はまた、機会があれば。いつものことだが、前置きが長すぎる!
北国や雪国が舞台の血も凍るような、スパインチリング(背筋ぞくぞく)、コールド・ストーリーがいいだろう。以前、「イギリスでは冬こそ怪談の季節」という話をした(第3回「恐怖の冬物語」)。「気まぐれ本の森散歩」というこの連載、なんだか怪談、ホラーにかたよっているかな、それも古典的な? スティーヴン・キング『シャイニング』(1977)も今や「ウィンター・ホラー」の古典。わたしは最初にキューブリックの映画を観てから、原作を読んだので、いろいろおどろいた。だが今、手もとに本がないのである。ううう。
最近、読んだものではアレン・エスケンス『償いの雪が降る』(務台夏子訳/創元推理文庫/2018)【原題The Life We Bury /2014】だ。ホラーではない。ハートウォーミングなサスペンスである。たしか、低体温症の話が出てくるのだ。
ジョー・タルバートは21歳、ミネソタ大学の学生だ。大学の英語科目のレポートは「伝記執筆」。高齢者にインタビューし、その人生を書き記してまとめ、期限までに提出するのである。一般の学生は、自分の祖父母など肉親にインタビューするのだが、ジョーには「家庭の事情」があり、赤の他人の人生をレポートせざるを得なかった。
そこで9月の末、彼は老人介護施設「ヒルビュー邸」を訪問した。その結果、インタビューの相手に決まったのが、カール・アイヴァソン。「1980年に、ミネアポリス市で14歳の少女――クリスタル・ハーゲンをレイプ、殺害し、火をつけて燃やした」男だ。当時、彼は32歳だったが、終身刑の有罪判決が出た後、刑務所に30年、収監されていた。しかしつい最近、末期のすい臓がんで、余命3カ月と診断された。仮釈放で出所し、ヒルビュー邸で緩和治療を受けながら、最期の時をすごしているのだ。
さて、ジョーの生活、人生もなかなか複雑である。彼の母親は重度のアルコール中毒だ。飲酒運転で警察につかまり、保釈金を払うよう彼に強要する。弟のジェレミーは自閉症の18歳。ハリウッド映画のDVDがお気に入りで、日常のルーティンからはずれた事態には激しく動揺し、発作を起こす。そして、母方の祖父の死にまつわる、ジョーの暗い記憶……。とはいえ、私生活に明るい要素もないわけではない。アパートの隣人の女子学生、ライラ・ナッシュに恋心を抱いていたのだが、弟ジェレミーの仲立ちで、その関係が急進展しつつあるのだ。
さて、「殺人犯」のカールである。彼は「ひとを殺したこともあるし、殺害したこともある。しかし、14歳の少女をレイプしたり殺害したりしていない」と無実を主張する。ベトナム戦争にともに従軍した彼の戦友も「あいつは無実だ。女の子を殺して焼くようなやつじゃない」と、ジョーに熱弁する。
まさか。冤罪?
公平、客観的なレポートを書きたい彼は(もともとジャーナリスト志望なのだ)、1980年の「クリスタル・ハーゲン事件」再調査に乗り出した。彼女はそのころ、日記をつけていたが、肝心の事件にかかわる記述が暗号化されていた。
p149「九月二十一日――なんて悲惨な日なの。7、22、13、1、14、6、13、25、17、24、26、21、22、19、19、3、19。どうすればいいんだろう。ほんとに最悪。」
この日、殺人事件にかかわる何か決定的な出来事が起こったのだろう。しかし、カールを有罪にした裁判でも、この数字の暗号は解かれることがなかった。検察は日記の他の部分に、クリスタルがカールを批判した部分(「クリーピー(身の毛のよだつ)・カール」「気持ち悪いやつ」)を見つけ、状況証拠として陪審に提供した。有罪の根拠としたのだ。
弁護側は「この暗号を解読できたら不利な状況を打開できるかもしれない」と考えた。そこで、暗号解読にたけた国防総省に解読を依頼する。数字と文字の可能な組み合わせは80億あるという。もっとも、14歳の一般的な少女が考え出した暗号だ。そんなに複雑なわけはないのだが……。プロフェッショナルな仕事人は、完璧を期するあまり事態を複雑、難解なものに考えがちかもしれない。
一方、被告のカールはこの暗号に無関心だった。それどころか、裁判自体にも非協力的で、どこか他人事のようだったという。弁護側の関係者は、当時を回想し、カールが裁判の進行を速めようとしていたと供述する。裁判までの期間が伸びれば伸びるほど、弁護しやすくなる。掘り起した事実や、新発見が出やすくなるからだ。しかし、カールは「60日以内の裁判」を要請したというのだ。つまり、無実を主張する一方、性急に有罪判決を求めている……。
私生活に問題、トラブルを抱えた青年の主人公が、かわい子ちゃんと仲良くなりつつ、過去の凶悪事件の冤罪の謎を暴く――おおざっぱにまとめれば、『償いの雪が降る』はそういうストーリーである。
どのキャラもこころに闇、傷を抱えており、それを「覆(おお)い隠し」「葬り去って」(=Bury)、必死に人生を生きている。ジョーの人生における祖父の死にまつわる過去、ライラの過去、そしてカールの過去も、物語の進展につれ、しだいにあらわになる。その後、雪が静かに降り積もり、なにもかも美しく覆い隠してしまう……。おそらく、この物語の「雪」の含意、メタファーはその点にある。カールは死ぬ前に、「大雪が降る」のを見たがる。
p182 ……「雪が降っているのがうれしいんですか?」僕は訊ねた。
「三十年、刑務所にいて、その大半の時間を隔離房で過ごしたわけだからね。雪が降るのを見る機会なんぞめったになかったんだよ」彼は雪片のひとつひとつを目で追っていた。それらは窓の外を漂い、カーブを描くそよ風に舞い上がり、やがてふたたび落ちてきて、ガラスの上で消えていく。僕は彼に数分間の安らぎを与え、そのひととき降雪を楽しんでもらった。……
11月中旬くらいだろうか。老人介護施設でのシーンである。「僕」はジョー。「彼」はカールだ。
p256「ジョー」彼は言った。「よく来てくれたね。きょうは雪になると思うかい?」
「ならないんじゃないかなあ」僕は窓の外をのぞき、ライラックの茂みの枯れ枝を眺めた。その茂みは藪(やぶ)と化し、彼の視界をさえぎっている。「実はきょう、刑事に会いに行ったんです」
「雪になればいいのにな」カールは言った。「死ぬ前に一度、盛大に降ってほしいよ」
そもそも漢字の「雪」という字、雨冠の下は「箒(ほうき)」である。「箒」の竹冠の下のように、旧字体では「ヨ」の字の真ん中の横棒が右にはみ出していた。この「はみ出し」は箒の「柄」、つまり手でつかむ部分だ。「箒」を横倒しにした象形なのだ。「雨」と「箒」でできている「雪」という漢字は、つまり会意文字。「雨のように空から降ってくる」意味と「箒のように地上をきれいにしてくれる」意味を組み合わせたわけだ。邦題『償いの雪が降る』も、登場人物たちのさまざまな「罪」「けがれ」「葛藤」「闇」を、「雪」がやさしく美しく覆い隠していくことを含意しているのだろう【註】。
しかし、北国、雪国の人間は次のようなツッコミを入れるはず。
「おいおい。雪や冬を美化しすぎだろう。『刑務所の隔離房で雪が見られなくて、久しぶりに見た雪に感動する』だと? 『雪を見るのにうんざりして重大犯罪にかかわり、刑務所の隔離房に入れてもらった』のまちがいじゃないか? 雪にはもう、あきあきなんだよ。きれいごとぬかすな!」
作者のアレン・エスケンスはそんな反論に留意してか(?)、雪の恐ろしさをジョーに体験させる。もっとも雪国の人間としては、その「恐ろしさ」について、雪や冬をまだ甘く扱っている印象を受けるのだが。
容疑者のひとりに彼が肉薄し、「暗号は解けた。あんたが犯人だろう」と糾弾するシーンがあるのだ。容疑者は動揺し、意味不明の繰り言をつぶやく。このとき、ジョーはちょっと視線をはずし、よそ見をしてしまうのだ。そのすきを狙って逆襲を受け、気絶した彼は車のトランクに入れられる。凍結した川に捨てられそうになるのである。
折からの猛吹雪。天気予報は「記録的大雪」に警戒を呼びかけた。
自分の車のトランクに入れられ、気絶から目覚めたジョーは寒さにうち震える。靴を履いておらず、おそらく靴下はだし。シャツとジーンズだけ。容疑者は気絶したジョーを「死体」と勘違いしたのだ。これから捨てようとする死体に靴をはかせたり、コートを着せたりすることはない。車は捨て場所に向けて、ハイウェイを移動中だ。
かじかんで動かない指をテールライトの電球であたためたり、口の中に入れ、ぬくめたりした。タオルを足に巻き、粘着テープでぐるぐる固定し、即席の「靴」を作成。そしてトランクの中のありあわせの工具を使い、ジョーはなんとか車を止まらせ、外への脱出に成功する。雪山の森林地帯だ。容疑者は銃を撃ってきたが、さいわい、ジョーに命中しなかった。やみくみに新雪を踏みしめて逃げ、崖から転落する。
タオルを巻いた「靴」など、ほとんど役に立つまい。そして、ふかふかの新雪の上を転げまわったら、全身、雪まみれである。衣服の雪は体温ですぐに溶ける。そして氷のつめたさで、全身から熱を奪う。ジョーは低体温症に襲われたようだ。
p297 肌が熱い。これに関しては、学校で習ったことがある。なんだっけ? そうだ。低体温症で死にかけている人は、暑くなって服を脱ぎ捨てるんだった。僕は死ぬんだろうか? 動かなきゃならない。動きつづけ、血を通わせなきゃ。立ちあがらなきゃならない。僕は両肘(ひじ)で、地面をぐいと突き、膝立ちになった。膝にはもう感覚がなかった。凍てつく地面が肌に触れても、もう何も感じない。僕は死ぬんだろうか? いや、そうはいかない。
低体温症は、寒冷症状のなかでもかなり重症な印象である。身体の中心温度(直腸温度)が35度程度(あるいは、それ以下)に低下する――つまり「身体の芯から冷えこんだ」状態が原因の多臓器の変調だ。一般的に、身体は外側から冷えていく。身体の中心温度が下がっているなら、手足や耳、鼻の体温など極度に低下しているはずなのだ。わたしの感覚では、寒冷症状は軽い順から次のようになる。
1 しもやけ → 2 凍傷 → 3 低体温症
したがって、低体温症レベルだと、凍傷で耳や鼻はとれ、指も何本か失う印象なのである。実際、ジョーがこうむった寒さのひどさは、少なくとも、しもやけレベルではない。ただし、「軽い低体温症」というのがあるらしい。また、わたしは医学的な教育、知識がないので、とんちんかんなことを書いているかもしれない。あくまで、雪国経験者の実感から述べている。
そう。ジョーはこの後、五体満足でなんとか危機を脱するわけだ。詳細は省略する。関心のある方は直接、読んで確認してほしい。
「雪はカールにとって、安らぎを与える、とても美しいものだ。でもそれは、もう少しで僕を殺すところだったのだ」と彼は述懐するが、死んでいてもおかしくない。いや、死んでいるべきなのではないか。その後の展開は、臨死体験の脳内現象では? 若さか? 21歳の若さがジョーを救ったのか? 湯たんぽ不要か?
『償いの雪が降る』は15年にバリー賞ペーパーバック部門最優秀賞、レフトコースト・クライム・ローズバッド賞デビュー作部門最優秀賞、シルバー・フォルシオン賞デビュー作部門最優秀賞と3冠。エドガー賞、アンソニー賞、国際スリラー作家協会賞の各デビュー作部門で最終候補作に残ったという(務台夏子による訳者あとがき)。
読みごたえがあり、読後感もさわやか。雪や寒さの扱いに不満が残るものの、総じて、わたしはたいへん面白く読んだ。続編『過ちの雨が止む』(務台夏子訳/創元推理文庫/2022)【原題The Shadows We Hide /2018】では、舞台は数年後。ジョーは念願のジャーナリストになっている。彼ら家族を捨てた父親の死が、ジョーの身辺に不穏な影を投げかける。父の新しい家族の謎めいた事件の解決に巻きこまれ、謎解きを通して、精神的に成長していくことになる。こちらも読んで損のない傑作だ。季節は夏なので、雪も氷も出てこない。
さて、いよいよ2月。外は大雪が降っており、明日朝のJRはそうそうに運休を決めたようだ。まだまだ雪ごもり、冬ごもりの生活はつづく。身体(の中心)をあたためて、みなさんも、あたたかくしてお過ごしください。
(了)
【註】「雪」という漢字の成り立ちについて記憶で書いたので、手持ちの漢和辞典で確認してみた。角川書店『角川 新字源 改訂新版』(2019年12月 改訂新版3版)である。
「雪」の雨冠の下の「ヨ」が「ホウキ(箒)」を表しているというのは、正しかった。しかし、もともと雨冠の下には「彗」の字が書かれていたそうだ。「彗星=ほうきぼし」なので、この字が「ホオキ」を表す。ただし、「ヨ」の部分の象形は人間の「手」であるらしい。真ん中の横棒が右側にはみ出した部分は「ホウキ」の「柄」ではなく、「手首」や「腕」を示す。「ヨ」の上の部分は「多くのものが並ぶ」ようす。手で多くのものを払う、はく、そこから「ホウキ」の意味となったとか。
同様に、「箒」という漢字の「ヨ」も「手」である。「ホウキ」を表していたのは、その下の部分であるそうだ。
「雪」は雨冠が意味、「彗」が音を表す形声文字とのこと。会意文字ではなかった。「彗(スイ)」の発音が「セツ」になった経緯は浅学のため、漢和辞典を読んでも分からなかった。
追記し、訂正しておく。
大森葉音(おおもり・はのん)
北海道生まれ
本格ミステリ作家クラブ会員
作家。2000年に「大森滋樹」名義で「物語のジェットマシーン―探偵小説における速度と遊びの研究」で第7回創元推理評論賞佳作入選。
探偵小説研究会に所属し、ミステリの評論活動をはじめる。『ニアミステリのすすめ―新世紀の多角的読書ナビゲーション』(原書房)、『本格ミステリ・クロニクル300』(原書房)、『本格ミステリ・ディケイド300』(原書房)、『日本探偵小説を読む』(北海道大学出版会)、『日本探偵小説を知る』(北海道大学出版会)に共著者として参加。現在、北海道新聞日曜書評欄「鳥の目虫の目」を3~4か月に1度、持ち回りで執筆している。
2013年に「大森葉音」名義でファンタジー小説『果てしなく流れる砂の歌』(文藝春秋)を上梓し、小説家としてデビューする。2015年には本格ミステリ『プランタンの優雅な退屈』(原書房)を刊行している。地元札幌の豊平川サイクリングコースを自転車で走り回るのを楽しみとする。
X(旧ツイッター):https://twitter.com/OmoriHanon