ドラマ「北の国から」のロケ地訪問|第57回 千澤のり子エッセイ

 先日、5年ぶりに北海道を訪れました。旅の目的は、ドラマ「北の国から」のロケ地訪問です。
 初めて観たのは、中学の卒業直前の頃でした。授業のない3年生は、教室で半日、映像鑑賞となりました。
「いいか。これは、決してドラマではない。自分たちだと思って観ろ」
校内放送で学年主任の先生がそう言って流したのは「北の国から 87‘初恋」でした。時間の都合で、ドラマはれいちゃんがいなくなり、純くんが小屋の中で尾崎豊の「I LOVE YOU」を聴く場面で録画は止められてしまいました。
 家にはビデオデッキがなかったので、友達の家に集まって最初から再視聴しました。その後、すごくはまったのは、言うまでもありません。
 シリーズの最初から観たいと思いましたが、叶わず。なので、私は図書館でシナリオを借りて読みまくりました。映像よりも先に、本で出会っていたのです(画像は、今回泊まった美馬牛という駅前にある、ユースホステルに置いてあった本です。美馬牛の駅舎も、ロケ地のひとつで、「北の国から’89帰郷」に登場します)。
ユースホステルの本 
 翌朝早くに、蛍が勇次と出会った電車に乗り、富良野駅に降り立ちました。私の目指す麓郷という場所は、駅からバスで40分かかります。便は一日に往復4本。前日の夜からほとんど食事をしていませんでしたが、食べ物が喉を通る状態ではありませんでした。
 富良野市内を通る間は、この建物はあの場面で出てきた、この道はあの場面で純くんが車を走らせていたと思うと感慨深くなり、涙で景色がかすんできました。
 まだ早い。今じゃない。
 バスは次第に山道に入り、しばらく進んだら、れいちゃんの自転車チェーンが外れた場所を通り過ぎました。思わず立ち上がったら、同乗していたご夫婦と目が合いました。若干怪訝な表情をしています。でも気にしません。
 ところどころに建物はありますが、丘と木と空しかない、そんな景色を自分の目で見たのは初めてです。
 もうすぐ終点というアナウンスの後、「中畑木材」と書かれた建物を通り過ぎました。
 まさか、本当にあったなんて!
 こらえていたものが、一気にこみ上げました。
バスを降りたあとは、しばらく麓郷の通りを駆け回り、一番バス停の近くにある「拾ってきた家」にたどり着きました。まだ開園前です。真っ先に目に入ったのは、五郎さんの遺言の碑です。「北の国から 2002遺言」に出てきた文章が、そのまま刻まれています。
 それを読んだら、私は子供のようにワンワンと泣きじゃくってしまいました。理由は分かりません。でも、今振り返ると、温かく出迎えてもらった気がしたのではないかと思います。
「拾ってきた家」の見学後は、電動自転車を借りて移動しました。
 2番目の場所は、「北の国から’84夏」で焼けた丸太小屋と『北の国から’87初恋』で住んでいた家が再現されていました。ないものがあるという状態を見て、やはりドラマの出来事なのだと実感してきました。

 少し冷めてきた気持ちは、3番目の最終地でかき消されました。私の一番見たかった景色が待っていたのです。
 ひとつめが、「北の国から’98時代」で五郎さんが住んでいた家。蛍と正吉が結婚することになり、純くんと3人で報告しに行く場面そのままの景色がありました。一緒に育った子供たちが、大人になって会いに行くなんて、その設定だけで胸が詰まります。
北の国から
 さらに、もうひとつが、最初の家。この家から始まったのだと思い、再び号泣してしまいました。
 バスの時間までかなり余裕があったので、その後は展望台に行こうとしましたが、スタミナ切れでダウン。代わりに、地図にない場所を、ひたすら走っていました。
 日頃、私は物語は何らかの感情を呼び起こすツールであり、どんなに感動しても作り物にすぎないと捉えています。今回の旅も、私は倉本聰の文章が好きなだけではないのかと、今となっては冷静に振り返っています。
 けれど。
 たったひとりでもいいから、ここまで人の心を動かす作品を作りたい――。
 その思いは北の大地に置いて来ず、東京まで持ち帰ってきています。

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