本棚紹介|作家・松本寛大さん|第54回 千澤のり子エッセイ

 コロナ禍になってから、探偵小説研究会の例会はリモートのみになりました。
 画面越しに話すことに未だに慣れておらず、よくお会いしていた方々は縁が薄くなったように感じ、逆に、遠方の方々とは距離が近づいた気がしています。
 北海道にお住まいの松本寛大さん(編集者校注)も、コロナ禍になってからよく会議でご一緒する方です。
 初めてコンタクトを取ったのは、まだ入会したばかりの頃です。当時、私は、創刊されたばかりの機関誌『CRITICA』の通信販売を一人で担当していました。
たくさんの注文メールの中に、第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞者のお名前があるのを見て、非常に驚いた記憶があります。返信メールにデビュー作『玻璃の家』の感想を書こうかと迷いましたが、恐れ多かったので、事務的に済ませました。
 それから長い時が経ち、本格ミステリ作家クラブのパーティーでお目にかかり、北海道に行ったときも同席させていただき、探偵小説研究会でご一緒するようになりました。
 漏れ聞いた情報によると、年齢が近く、兼業で、子育てをしていて、小説も評論も書くという共通点があります。ミス研に所属したことはなく、学生時代から評論にも興味を持っていたというミステリ歴も似ています。
 ミステリのお話をしたいのに、機会がない――。
 何かきっかけはないかと考えた結果、本棚を見せてくださいとお願いし、画像をいただいた後、お電話するという流れになりました(職権乱用なのは自覚しています)。
 真っ先に話した内容は、本の収納です。
「1万冊超えていないのなら、少ないほうですよね」
 お互い、何かがバグっているのは承知しています。本を置ける場所にも限りがあります。家族が窮屈な思いをしているという罪悪感も生じています。どこかで誰かが必ず持っていると分かる本は、処分せざるを得ないという結論になりました。
 我が家は、CDやDVDは持たない、ミステリ以外の書籍はお世話になっている方を除いて置かない、漫画は電子で買い直すとしているので、かなり余裕があります(ということにしています)。
 松本さんは「その見極めが難しい」と、おっしゃっていました。TRPGは場所を取りますし、ゲームブックや雑誌は手放したら二度と見つからないかもしれません。特に雑誌投稿欄で繰り広げられた制作側と読者のやり取りは、現物でないと読むことはできません。


(雑誌)<以下、クリックで拡大します>

(ゲームブックなど文庫本)

(TRPG関係)

 捨てることは簡単でも、記録の消滅は、文化そのものの消滅に等しい――。
 私もこのお考えは激しく同意します。書物って、人間の生きた証が形になっていて、紙面の上では、その人は生き続けているのではないかと、日々思っています。 
 それから、現在の情報過多の世の中に話題は移りました。
 お小遣いも少なく、ビデオもなかった時代、好きな物語は忘れないように暗記したり、紙に写したりしていました。松本さんも同じように、映画のセリフを書き取って、シナリオの書き方を学ばれたそうです。一つのコンテンツを深く愛することも難しい世の中になっていると、実感する年齢になったのだと思います。
 B級ホラー映画、クトゥルフ神話、必読の名作少女漫画、栗本薫作品と、話題は尽きません。松本さんはものすごく詳しく、広く浅い私の知識に話をあわせてくださいました。出発点は似ていても、松本さんは幻想系、私は社会派と、進む道が異なっているのが、少し意外です。


(怪奇小説)

(そのほか様々な本)

 最後に、こんな話になりました。
「僕が文章を書いているのは、見知らぬ誰かに手紙を書いているようなものなのです」
 書いていれば、誰かに届きます。その誰かは、今すぐ眼の前にいるかもしれないし、50年後かもしれないし、自分が存在しなくなってからかもしれません。
 私は文章を記録として捉えていて、なるべく多くの人の声を文字で残しておくことが、自分の使命かもしれないと思うようになっています。
 今、記事を書いているのも、何気ないおしゃべりを形にしていきたいからかもしれません。
この人と話してみたいと思ったら、思い切って声をかけるのは悪くないことだと思いました。

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(編集者注)松本寛大氏については、大森葉音先生の第5回執筆「ハードボイルドの春」にも登場致します。是非併せてお読み下さい。

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