えのぐからとびだした話|第37回 千澤のり子 エッセイ

 私が幼少の頃。旅行会社に勤めていた父は、添乗業務に行くたびに、昔ばなしの絵本を買ってきてくれました。和綴じの小さなサイズで、現地の民話が数編入っていました。
 私が大きくなるにつれて興味を持たなくなったため、いつしか父のお土産は民芸品に変わりました。
たくさんの昔ばなしを読んだはずなのに、どんな話が入っていたのかはまったく覚えておらず、いつの間にか処分してしまったことが残念でなりません。
 その影響もあり、子供の頃は民話や伝説が大好きでした。
 幼稚園時代は、園内の図書コーナーに置いてある絵本を片端から読んでいました。小学校に入ってからは学校の隣にあった図書館に通い、知らない話はないほど読みふけっていた記憶があります。
 特にお気に入りだった本は、「えのぐからとびだした話」です。
大きい本だったという思い出しかなく、内容が気になり、つい先日購入してみました。当時はたしか出たばかりの叢書だったのに、今は品切れになっています。

叢書の名前は「世界のメルヘン」。ケース入りです。目録によると24冊刊行されていますが、国内の童話は見た記憶がないので、図書館に全冊揃っていなかったことが分かりました。
 収録作は、グロード・アベル「わるの、かた耳ねこ」、ロベール・エスカルビ「シチューあて競技」、モーリス・カレーム「星をぬすんだまじゅつ師」、エルネスト・ペロション「小さなおじいさんと小さなおばあさん」、マルセル・エイメ「えのぐからとびだした話」。最後に南本史さんの解説が付いています。

フランスの童話というと、叢書の9巻にも収録されているシャルル・ペロー「ながぐつをはいたねこ」をすぐに連想しますが、10巻の本書の童話は、タイトルを見ても記憶が戻りません。この本以外では触れる機会がなかったということなのでしょう。
 約40年ぶりに読んでみると、ぼんやりと内容を思い出してきました。
 ただ、自分の感覚が変わっています。例えば、「シチューあて競技」の中で描かれていたシチューは、材料を見ただけで味がイメージできるようになりました。「星をぬすんだまじゅつ師」に出てくる星の名前は、注釈がなくても、どの星座に含まれている星なのかが分かります。
 焼き立てのパンの匂いやベッドの感触は感覚を想起しながら読みましたが、子供の頃の私は、言葉だけでしか知らないことについて、何の疑問も抱かずに解釈していたのだと知りました。
 表題作の「えのぐからとびだした話」は、ほかの話よりも少し長めです。
 復活祭でお休みの朝、農家で暮らす姉妹は、おじさんから絵の具をもらいました。でも、両親は不満げです。次の日の朝、姉妹が絵の具で遊ばないように用事を言いつけて、両親は仕事に出かけて行きました。可哀想に思った飼い犬とアヒルは、代わりに用事をするから、絵を描くように言いました。喜んだ姉妹は、周りの動物たちを描きましたが、ロバは二本足、牛は角だけ、馬は鶏よりも小さくなってしまいました。それだけでなく、動物たちが、絵の具で描いた絵のとおりの姿になってしまったのです。昼食のために帰宅した両親は、驚いて獣医さんを呼びに行きました。両親の言いつけに従わなかったからだと、姉妹たちは焦り、動物たちを元の姿に戻そうとしますが……。
 展開や結末を知っているのに、ハラハラしながらページをめくりました。自分の感想がどう変わってしまうか若干不安でしたが、大人になった今でも面白く読める童話です。解説で触れられていた「おとなをひきつけることのできない作品が、子どもをひきつけられるはずはない」という作者のエイメの思いにもうなずけます。
 けれど、気になった箇所がありました。

 それは、挿絵によると子供たちは10歳にも満たないように見えるのに、お手伝い以上の仕事をさせられていることです。姉妹も、両親にバレたら「ぶたれるかもしれない」と心配していました。だからこそ、ペットたちが同情して、物語が展開していくわけなのですが、一種の虐待ものなのかなと思えてきました。
エイメは社会風刺も作中に取り入れる作家だそうです。童話には何らかの教訓が含まれますが、大人にとっても教訓にしてほしい作品です。

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