H・G・ウェルズの短編に「塀についたドア」がある。
舞台はロンドン。路地の塀についた緑の扉を男の子が開けてしまう。内部はちょっとした庭園で、二頭の豹がじゃれ合っている。塀の向こうにそんなひろびろした空間を隠す余裕はなく、あきらかに異次元空間だ。少年はそこで同世代の子どもを見つけ、ゲームで遊ぶ。やがて、青ざめた顔色の美女から1冊の本を渡される。ページをめくって読みはじめ、彼はすぐに気づく。
(この本の主人公はボクだ! ボクのことが書かれている!?)
生まれた時のようす、やさしい母、きびしい父、子ども部屋、召使い、家の中の物……。日々のエピソードが時間順に書かれているのだ。
自分の物語! どっぷり感情移入し、夢中になり、少年は読み進める。しかし、話が今に近づくにつれ、彼は不安になっていく。話の展開が街の路地の緑の扉を見つけた個所――つまり、現在に近づいているのだ。(このまま読み続けたら、ボクは自分の未来を知ることになるのかな……!?)
少年がページをめくるのを、青い顔の女性は止めようとする。だが、彼は抵抗し、次のページをめくる。すると途端に、周囲は幻のように消え、自分がロンドンのもとの通りに立ちつくしていることに気づく。
その後、少年は成長し、社会に出て活躍し、しだいに老いていく。「緑の扉」は彼の人生のはしばしに何度か登場するのだが、押し開ける機会がなかなかない。ある時は学校に遅刻しそうで時間がなく、ある時は扉自体への興味を失っており、またある時は同行者がいて断念せざるを得ない。扉への郷愁とオブセッションはしだいに切迫し、再びあの、世俗と隔絶した美しくふしぎな庭園に行ってみたいと、彼は熱望するのだが……。
このストーリーを読んだ時、「おや、似たような経験を自分はしているのではないか」と私は気づいた。さすがに豹は出てこないが、4歳……5歳……いずれにせよ、小学校に上がる前である。姉が虫歯になった。住んでいた小さな町には歯医者がなく、母は姉を余市という隣町の歯科医院まで連れていくことに。私は留守番である。
雨の昼下がりだ。ソファでテレビを見ていたが、私の孤独感はしだいに恐怖感へと成長しつつあった。当時の自分は、ひとりで夜、トイレに行けないほどの怖がりだったのだ。部屋の隅の暗がりに何かがいるような気がする。家具の裏、ソファの陰に何かが隠れ、こちらの様子をうかがっているような気がする……。
あまりの恐怖から私は決意した。(余市まで行って、母と姉を探そう!)――もちろん、携帯電話などなかった時代だ。
長靴をはき、傘を差し、外に出た。国道の周辺はリンゴ畑。陰気で灰色な空の下、重苦しい気分でとぼとぼ歩く。
時おり、車が水しぶきを上げ、身体のわきを通りすぎる(写真では晴れているが、50年前のその日は雨だった)。この国道5号線を歩くひとはほとんどいない。町から町への移動はもっぱら自動車だからだ。雨に濡れた無人の道を歩く心細さは、私を打ちのめす。行けども行けども道はつづき、隣町は一向に見えてこない。もう何時間も何時間も歩きつづけ、とっくにたどり着いているはずなのに……(わーん。お母さーん!)
人間、追いつめられると訳の分からない暴挙に出るものである。この時の私がまさにそうで、常識破りの、赤面ものの決断を下した。
手近に見えてきた、赤の他人の家に救けを求めたのだ。子どもだから、こんな言葉は知らないが、「緊急避難」のつもりだった。ココロは冬山遭難や海難事故の生存避難者である。
その家の扉は決して緑でなかった。何色だったか、記憶はあいまいだ。しかし後の人生で「緑の扉」として思い出す、見知らの住宅の扉を私は叩いた。
「はーい」と声がし、扉が開く。
その家のおばさんと思える女性が、傘を差して泣いている私を目にし、絶句した「ボク、どうしたの?」
「わーん。お母さん、いなくなったー」
未就学児童の説明である。状況をうまく伝えられたとは思わない。しかし、おばさんはとてもいい人で、「ともかく入りなさい」と家に上げてくれた。
渡されたタオルで涙に濡れた顔を拭き、居間に入ると、今度は私が絶句。ソファに美人姉妹が座っていたのだ。
姉はストレートの黒髪で、切れ長の瞳。幼いながらも(後で私より1歳年長とわかる)鼻筋が通り、純和風の顔だち。妹(1歳下だった)はおかっぱ頭。眉はきりっと太く、瞳はパッチリ開き、まつ毛が長い。ふっくらした頬はシュークリームを連想させる。
ふたりのかわいらしさに私は仰天し、バカみたいに突っ立っていた。ぼけっとしている知らない男の子を、姉妹はふしぎそうに見ている。やがて姉の方が気を利かせた。
「きみ、なんて名前?」
「……ハノン」
「ハノンちゃん、トランプやる?」
「うん。やる!」
ということで、ふたりの美女を相手にトランプで遊ぶことに。地獄から天国に生まれ変わった気分である。思い返してみると、「人生のピーク」が来るのが早すぎたと悔やまれる。具体的な会話、ゲームの種類、進行、食べたものや飲んだもの(お菓子や飲みものが供されたのだ)は、よくおぼえていない。唯一、記憶に残っているのはふたつだけ。ひとつは、むやみやたらと楽しかったこと。もうひとつは「前の家族は捨てた。ボクは今日からこのウチの子どもになる!」という新生への決意である。 ……そうして、どれだけの時がたったのであろうか。トランプに興じている私の耳に、どこか聞き覚えのある、なつかしいかんじの話し声が入ってきた。
(あれ? これ、誰の声だっけ。どこかで聞いたことがあるような……夢の中でかな?)
と思ってカードに顔を近づけていると、突然、その声が頭上で爆発。
「ハノン!」
びっくりして見あげる。あー、(実の)母親である。鬼のような形相だ。
「いつまで遊んでんの! よそさまの家にご迷惑かけて。こっぱずかしい。さっさと帰るよ!」
私の左耳をつまみ、身体を引き上げた。イテテテテ。まだババ抜きが途中なんだけど……。あー……。
自宅に連れ戻された私がその後、母から小1時間、折檻されたことはいうまでもない。天国から地獄、とはこのことである。
(実の)姉の虫歯の診察を終え、帰宅した母は驚愕したそうだ。まず、玄関の扉が開けっぱなしだった。居間に入るとテレビもつけっぱなし。そして、息子がいない!(誘拐か!?)
心配した母は隣近所で聞き込みを開始。
「ウチの息子、見かけませんでしたか?」
「ハノンちゃん? 傘差してわんわん泣きながら、吉川さん(仮名)の家に入って行ったよ」
数分で私の潜伏場所は割れた。主観では国道を何キロも何キロも歩いたつもりだったが、自宅からほんの200メートルしか移動していなかった。子どもの足です。仕方ありません(恥)。
結局つまり、ご近所だったのだ。だがさすがに私もきまりが悪く、吉川さん(仮名)の家にお邪魔することは二度となかった。美人姉妹とはあれきりである。
こうして、私の「緑の扉」はいったん閉じられた。
後年、「扉」は何度も目の前にあらわれた。「自分自身の物語」を読んだこともある(もちろん、比喩だ)。しかし、それはまた別の話。機会があったら、その時に。
(了)
大森葉音(おおもり・はのん)
北海道生まれ
本格ミステリ作家クラブ会員
作家。2000年に「大森滋樹」名義で「物語のジェットマシーン―探偵小説における速度と遊びの研究」で第7回創元推理評論賞佳作入選。
探偵小説研究会に所属し、ミステリの評論活動をはじめる。『ニアミステリのすすめ―新世紀の多角的読書ナビゲーション』(原書房)、『本格ミステリ・クロニクル300』(原書房)、『本格ミステリ・ディケイド300』(原書房)、『日本探偵小説を読む』(北海道大学出版会)、『日本探偵小説を知る』(北海道大学出版会)に共著者として参加。現在、北海道新聞日曜書評欄「鳥の目虫の目」を3~4か月に1度、持ち回りで執筆している。
2013年に「大森葉音」名義でファンタジー小説『果てしなく流れる砂の歌』(文藝春秋)を上梓し、小説家としてデビューする。2015年には本格ミステリ『プランタンの優雅な退屈』(原書房)を刊行している。地元札幌の豊平川サイクリングコースを自転車で走り回るのを楽しみとする。
X(旧ツイッター):https://twitter.com/OmoriHanon