お宅訪問その3・猫親戚の倉阪鬼一郎さん|第19回 千澤のり子 エッセイ

 遠方に住むネット友達の一人から「結婚する」と打ち明けられたのは、十数年前の秋の入り口でした。関東圏内に新居を構えるということで、もしかしたらお相手はネット仲間なのかなあと思って聞いてみると。
「倉阪鬼一郎なの」
「は、はいぃぃぃぃぃ!?」
 倉阪さんといえば、フォントそのものの恐ろしさを描いた『文字禍の館』(祥伝社文庫)や、奇抜すぎるトリックの『四重奏』(講談社ノベルス)が特にインパクトに残っていました。恐ろしいほどの鬼才です。
 活字でのみ一方的に知っているご本人のイメージは、怪奇幻想小説の世界でリアルに暮らしている方。いつもご一緒の秘書猫ぬいぐるみ・ミーコ姫は、実は生きているに違いないと思っていました。

「まだ誰にも言ってないから、発表するまで内緒ね」
「わ、分かった」
 秘密はしっかり守りました。
 結婚式の二次会で初めてお会いした倉阪さんは、静かで穏やかで、はにかんだ笑顔が可愛らしい方でした。これでもかと人が死にまくる『ブラッド』(集英社文庫)を書かれた方にはとても見えません。作品は作者を投影しているわけではないことを改めて実感しました。
 それから月日は流れ、今では倉阪さんを「パパさん」と呼ぶようになっています(奥さまはハンドルネームのまま呼び合っています)。日本推理作家協会の囲碁同好会では、有段者の大先輩といつまでも十級の後輩という間柄です。囲碁だけでなく、将棋も有段者であります。
 とにかく多趣味な方で、マラソンを始められ、大会に出場されるようになったと思ったら、いつの間にか水泳もマスターされ、ロードバイクも乗りこなし、トライアスロンに参加されていました。ほかにも、もともと音楽が好きで作曲もされるし、最近は油絵を描かれていて、作品を2枚いただいています。
 私も倉阪さんにならって長距離を走ってみたいと頑張りましたが、5km以上走るのが難しく早々にダウン。スポーツタイプの自転車ならいつまででも乗っていられるかもしれないと2年くらい続けていたら、転んで左手親指靭帯切断の負傷をしてリタイア。趣味を極めるのは難しいです。
 趣味だけでなく、作品も精力的で、時代小説をたくさん書かれるようになってからは「月刊倉阪鬼一郎」というくらい、毎月のように新刊が刊行されています。画像は『廻船料理なには屋 肝っ玉千都丸』(徳間文庫)の見本誌です。

 今回は久しぶりの訪問でした。お仕事部屋の四方は資料や本に囲まれています。その真ん中で、ミーコ姫やお友達のぬいぐるみ、一番年下の男の子・猫のふじくんに見守られて執筆されているそうです。
 蔵書の中には、大森荘蔵や永井均の哲学書もほとんど揃っています。英語の原書もたくさんあります。
「パパさん、英語読めるなんてすごいにゃ」
「そりゃあ、翻訳もしていますから」
 大変失礼なことに、すっかり忘れていました。歌集や句集、詩集にエッセイ、評論も出版されていて、幅広いご活躍に頭が上がりません。

 私が密かに目指しているのが、『留美のために』(原書房)のような作品です。読了した人はタイトルが言えなくなってしまう本です。変わったことを思いついても実現するのが難しく、言葉を操る術を身に着けたいと思っています。
 お仕事部屋以外にも本がたくさんあります。リビングにあるサンリオSF文庫のコーナーにはため息が出ます。ご本人も、「かなり大金を支払いました」とおっしゃっています。奥さまが知ったらびっくりしそうです。

 実は倉阪家とは、猫親戚でもあります。5年ほど前、お庭で保護された仔猫3匹のうち、一番大きな女の子の八子(はっちゃん)を我が家が譲り受けました。妹のゆきちゃんは倉阪さんのおうちで先住猫のりるちゃん、乳母猫だったこむぎちゃん、先ほどのふじくんと暮らしています。早逝したリコッタくんにはお会いできなかったのが残念です。
 文字だけのやり取りをしていた人が、家族ぐるみの長いお付き合いになるなんて、人の縁はどこにあるか分かりません。これからも、インターネットの出会いも大切にしていこうと思っておいとましました。

よろしければシェアお願いします