『新版 芥川龍之介全集』( 全24巻 月報揃/岩波書店) を大阪府高槻市より宅配にて買取させていただきました。
文学にあまり詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがある”芥川龍之介”。
一般的なイメージとしては、国語の教科書に載っている人・文学賞の名前になっている人といったところでしょうか。
中学生の時に「羅生門」を国語の教科書で読んで、作品の闇の深さにドキドキしたのを覚えております。その時の国語の先生が、芥川龍之介を心底好きな先生で良く「芥川は天才だ。」と言っておりました。その時の先生になぜ、芥川龍之介が天才なのかと聞いたら、「文芸的な、余りに文芸的な」」を読めばわかると言われ読ませていただいたのですが、さっぱりわかりませんでした。(笑) 本を貸してもらって読んだにもかかわらず、全く理解でず恥ずかしくなった自分は、先生には何も言わずその本を返しました・・・。
古書店で働くようになって、芥川龍之介の名前を聞くたびに、この「文芸的な、余りに文芸的な」を何度も読んできました。そこで、多分、中学の時の先生は、これが芥川のスゴいところだと思ったので引用させてもらいます。
「最後に僕の繰り返したいのは僕も亦今後側目わきめもふらずに「話」らしい話のない小説ばかり作るつもりはないと云ふことである。僕等は誰も皆出来ることしかしない。僕の持つてゐる才能はかう云ふ小説を作ることに適してゐるかどうか疑問である。のみならずかう云ふ小説を作ることは決して並み並みの仕事ではない。僕の小説を作るのは小説はあらゆる文芸の形式中、最も包容力に富んでゐる為に何でもぶちこんでしまはれるからである。若し長詩形の完成した紅毛人の国に生まれてゐたとすれば、僕は或は小説家よりも詩人になつてゐたかも知れない。僕はいろいろの紅毛人たちに何度も色目を使つて来た。しかし今になつて考へて見ると、最も内心に愛してゐたのは詩人兼ジヤアナリストの猶太人ユダヤじん――わがハインリツヒ・ハイネだつた。 (昭和二年二月十五日)」
僕らは誰もみんな出来ることしかしない。これを言いのけることが、単純に芥川のスゴいところだと思っています。
あの時の先生と自分が芥川の同じ部分を好きかはわかりませんが、自分は「文芸的な、余りに文芸的な」を読んで芥川のすごさはここにあると感じました。
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