『私は貝になりたい』/橋本忍を福岡県太宰府市より宅配にてお売りいただきました。

「せめて生まれ代わることが出来るなら…

 人間なんて厭だ。牛か馬の方がいい。

 …いや牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。

 どうしても生まれ代わらなければならないのなら…

 いっそ深い海の底の貝にでも…

 …貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。

 兵隊にとられることもない。戦争もない。

 …どうしても生まれ代わらなければならないのなら、

 私は貝になりたい…」

貝なんですよね。
平和に暮らせるモノの比喩が貝なんですよね。
なぜか1周2周回ってこの比喩だけで考えさせられます。

ということで、今回お売りいただいた本は橋本忍著の私は貝になりたいです。

この本の話からは、”戦争というものが、いかに人の生活を変えてしまうか”というのが、強く伝わってきます。
日本軍の考えである「死ぬまで戦い、捕虜になるのは恥ずかしいことで卑怯者のすることだ。」と「上官の命令は天皇陛下の命令で絶対服従。」
ということをアメリカ側が理解できていないこと。こういった文化の違いも、この本からは考えさせられますね。

この本で一番重要な場面が、主人公の豊松が上官の命令で捕虜となった米兵を殺害(虐待)しました。
豊松自身は殺したくない。しかし、上官の命令は絶対なので従わなくてはならない。なので、豊松は手を下した。
これが、豊松本人の意志で望んで行ったことなのか、それとも豊松は嫌だが上官の命令なので仕方なく行ったことなのか。たとえ後者だとしても、アメリカ側から見れば、そんなことはどうでもいいのです。

上官に命令されて捕虜を殺したとしても、最終的に殺そうと判断したのは豊松本人なのです。ですので、豊松の意思で殺したとアメリカは受け止めます。アメリカ側からすれば、本人に殺す意思がなかったのなら、命令に逆らえば良い。と、アメリカは考えるからです。

よって、豊松が手を下したのであれば、悪いのは豊松。豊松に支持・命令を出したのが上官であってもそれは問題ではないのです。

本当に戦争というものが、いかに異常な状況を作り上げていたかが伝わってきます。
命令一つで人を殺す。上官に背けば射殺され、上官の命令を実行すれば、豊松のように国に殺されていた時代があった。
この話がフィクション・ノンフィクションかは定かではないみたいですが、こういった時代があったということは受け止めていきたいと思います。
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