追悼・西村賢太さん

一私小説書きの日乗
西村京太郎そして西村賢太。二人の「旅する西村」が相次いで令和のはじめに逝ってしまった、そんな感慨をおぼえる(西村京太郎氏:令和4年3月3日。西村賢太氏:令和4年2月5日)
「旅する」と言っても、その二人の「旅」は対照的だ。ひとりはトラベルミステリーの第一人者として多くの人気作品を遺し、日本を代表するエンタメ作家として大往生し、もうひとりは文壇と東京の街を最期までドリフトしながら、突如として逝ってしまったのだ。京太郎より40近い若さで。

西村賢太の『一私小説書きの日乗』は、芥川賞受賞以降の西村健太の日々が連載として掲載媒体をを変え、単行本も版元を変えながらも書き続けられた日記集である。
彼の熱心な読者たちは彼の早すぎる、そして突然の死についておおむね冷静に受け止めているが、それはこの日記によって彼の生活がいったいどういうものであったかを知っているからだ。
「小説にすがりつきたい夜もある」と彼は書いたが、それはほぼ毎晩のことだった。そのために常人ではちょっと想像もつかないおびただしい量のニコチンとアルコールと炭水化物を摂取しつづけた(そして多くの病を得た)。
そして何より、小説家として小説にすがりつづけたいのであるならば、大事にすべき編集者たちとのとの衝突を繰り返した。読者すらも罵倒した。燃費悪し、整備不良、事故多し、なのに無茶なドリフトをつづける暴走車であった。もう、すべては時間の問題であったのだ。
賢太は都内を移動中にタクシーの車中で体調不良を訴え、そのまま意識を失ったとのこと。「歿後弟子」とまで名乗るほどまでに心酔した大正時代の私小説家、藤沢清造は芝公園で凍死している。彼は、師匠に続いて東京の街で行倒れてみせたのだ。見事なり、と言っていい。
しかしそれでももちろん寂しい。この日記で彼は東京の街を、とくに古書街をめぐって、本を売り買いして、中古CDやDVDをさぐっている。掘り出しものにあたって喜んでいる姿が浮かんでくる。集めていたビンテージ玩具を部屋の整頓のために買い取りに出した、という記述もある。買取金額まで書いてみせてちょっとほくほく顔がみえてきそうだ。そういった姿には、共感もおぼえるし愛嬌すら感じる。破滅型のくせに、部屋の整頓は欠かさなかった。そんな人の小説も、これら日記ももう読めない。とても寂しい。(店員F)

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