ご退官されました大学の先生より、蔵書整理の一環として、ご専門の仏教関係の古本を多数お譲り頂きました。有難うございました。
その中の一冊として今回は『顕浄土真実教行證文類』(全6帖+解説揃 桐箱入/便利堂/教行社)をご紹介させて頂きます。
『顕浄土真実教行証文類』は通常『教行信証』と略されることが多いと思います。日本史の教科書で習ったとおり、法然の弟子にして浄土真宗の開祖、親鸞の著作です。浄土系の経典を独自に分類し、集大成として訳注を加えた基本書物です。なお今回の書籍は限定による発行です。高価な書籍になりますので、どうしても限定発行にならざるを得ない出版事情があります。
『教行信証』は、やはり教理的な専門性が強く、私たちに馴染みがあるのは『歎異抄』の方かもしれません。こちらは、本人はなく弟子の唯円が親鸞の語録を集めた書物と言われております。そして親鸞の教えといえば、その『歎異抄』からの「悪人正機説」が有名でしょう。この一文です。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
さあ、皆様はこの文章をどのように解釈されますか?「自らを悪人と称するするものは、その罪の意識を自覚しているものだ。よって仏様の他力本願により、浄土に往きやすい」という解釈が一般的と思われます。
親鸞は『教行信証』にて仏教の宗派を「聖堂門/浄土門」に区分しております。自ら修行にて何とかしようとする「聖堂門」に対し、他力本願を説いたのが「浄土門」です。上記の悪人正機説は、この「浄土門」を前提にしております。
これに対し、真っ向から反論したのが、詩人で評論家の吉本隆明でした。彼は著作『最後の親鸞』(春秋社)をはじめ、親鸞の理解をライフワークとして著書を発表しておりました。彼の理解を纏めますと「絶対的な悪人でさえ、心から念仏を唱えれば、他力本願で救われる」という解釈です。つまり、上記の「自ら悪人と自覚するものは~」という一種の方便ではなく、どうしようもない、徹底的な悪人でさせ、浄土に往生出来るという考え方です。
いかがですか?このように考えますと、親鸞というお坊さんが、究極に思想を突き詰めた人だという感じがしませんか?
どちらを支持するかは、その人の考え方次第と思います。そこに正解はありません。ただ吉本隆明は後者の考えにより、「正義」「悪「往相」還相」について考え抜いた人です。もしご興味がおありでしたら、一度、彼の仏教に関する著作をご一読されて下さい。新書でも発売されております。どの本もお勧めです。
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